過敏性腸症候群(IBS)と鍼灸
Q1. 過敏性腸症候群(IBS)とは?
過敏性腸症候群(IBS)は、腹痛や便通異常が続くにもかかわらず、検査で明らかな異常が見つからない 機能性の消化管疾患です。
診断には、国際的な診断基準である Rome基準(Rome IV:2016年改訂) が用いられます。
Rome IVでは、
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ここ3か月間に
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「週1日以上の腹痛」があり
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次の3項目のうち2つ以上を満たす場合
と定義されています。
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排便により症状が変化する
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排便回数が変化する
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便の形状(硬さ)が変化する
さらに、症状は 6か月以上前から存在 している必要があります。
IBSは、炎症性腸疾患や感染症、大腸がんなど 他の病気を除外したうえで診断される疾患 です。
Q2. IBSの分類は?
IBSは、便の状態 によって次の4タイプに分類されます。
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便秘型(IBS-C)
硬い便が多く、便秘や腹部膨満感が主体 -
下痢型(IBS-D)
軟便・水様便が多く、腹痛と下痢が主体 -
混合型(IBS-M)
便秘と下痢を繰り返すタイプ -
分類不能型(IBS-U)
明確な型に当てはまらないもの
Q3. ガイドラインに「鍼灸」の記載はありますか?
はい、あります。
機能性消化管疾患診療ガイドラインでは、
CQ 3-20「IBSに補完代替医療は有用か?」 の中で、鍼灸について言及されています。
ガイドラインでは、
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鍼治療は、複数のランダム化比較試験(RCT)およびメタアナリシスにより
IBSおよび下痢型IBS(IBS-D)に対する有効性が示されている -
標準治療や抗うつ薬で十分な効果が得られなかった場合、
代替治療として鍼治療を提案する
と記載されています。
また、灸治療についても、
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IBS・IBS-Dに対する複数のRCTとメタアナリシスがあり
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全般的なIBS症状、腹部膨満感、排便頻度の改善が示された
と報告されています。
Q4. 鍼灸はIBSに本当に効果があるのでしょうか?
一例として、イギリスで行われた長期追跡研究をご紹介します。
この研究では、IBS患者に対して
週1回・最大10回の鍼治療を行い、その効果を2年間追跡しました。
研究デザインはランダム化比較試験(RCT)です。
主な結果
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治療後3〜12か月の時点で、鍼治療群に症状改善が認められました
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2年後(24か月)には統計的な有意差はなくなったものの、初期効果のおよそ80%が維持されていた と報告されています

💡 つまり…
短期的には明確な改善効果があり、長期的にもその多くが持続していたという点は注目に値します。IBSは慢性的に症状が出る病気であるため、「時間が経っても症状がぶり返しにくい治療法」として、鍼灸の可能性が示された研究です。
Q5. なぜ鍼灸はIBSに作用するのですか?
― IBSにおける「内臓過敏性」
IBSの代表的な病態の一つが 内臓過敏性 です。
これは、腸が過度に敏感になり、通常では問題にならない腸の動きやガス刺激でも、痛みや不快感を強く感じてしまう状態を指します。
近年の研究では、鍼刺激が
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脳
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脊髄
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脊髄後根神経節(DRG)
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腸内細菌叢
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腸内環境
といった 複数のレベルに作用し、内臓過敏性を緩和する可能性 が示唆されています。
これにより、IBS症状の改善につながると考えられています。
(Yang Y, et al. Frontiers in Neuroscience, 2023)

Q6. なぜ「ツボ」に鍼を刺すと効果が出るのですか?
ツボは、体や内臓の状態に応じて反応が現れる 「反応点」 と考えられています。
例えば、お腹のツボである ST25(天枢) に鍼通電刺激を行った研究では、次のことが示されています。
研究から分かったポイント
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ST25への鍼刺激により、IBSモデルラットの腸症状が軽減
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ST25への刺激が、結腸(大腸)の機能に影響
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ST25と結腸が、同じ脊髄レベル(胸腰髄)を介して神経学的につながっていることが確認された
つまり、ST25は単なる皮膚上の点ではなく、内臓と神経的につながる「入口」 のような役割を果たしています。
この刺激によって、
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脊髄を介して内臓へ信号が伝わり
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内臓の働きが調整される
という 体性―内臓反射 が起こると考えられています。
この研究は、従来から経験的に用いられてきた天枢(ST25)の有用性に、神経科学的な裏づけを与えたもの と言えます。

Q7. ツボによって効果に差はあるのでしょうか?
はい、刺激するツボによって作用や効果に差があることが研究で示されています。
ある動物研究では、IBSモデルラットに対して
足三里(ST36) と 膏肓(BL43) に鍼通電刺激を行い、その影響を比較しました。
足三里(ST36)は、東洋医学において消化器症状に用いられてきた代表的な経穴です。この研究は、足三里を選択する意義を科学的に検証したものです。
研究結果の要点
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足三里への鍼通電により
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内臓痛の指標である AWRスコアが有意に低下
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腹部筋電図(EMG)の反応が明らかに減少
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EMG反応量(AUC)も有意に低下
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→ 内臓過敏性による痛み反応が抑制されました。
鎮痛の仕組みについて
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鍼通電と同時に ナロキソン(オピオイド拮抗薬) を投与すると、
鍼通電による鎮痛効果は消失しました -
ナロキソン単独では、内臓過敏性への影響は認められませんでした
この結果から、鍼通電による内臓過敏性の軽減には、オピオイド系が関与していることが明らかになっています。


Q8. 鍼灸は「痛みの記憶」に関わる物質を調節するのでしょうか?
近年の研究では、IBSにおける慢性的な痛みには「痛みの記憶」や神経の過敏化 が関与していることが分かってきました。
その中心的な役割を担うのが、BDNF/TrkB という物質です。
BDNF/TrkBとは?
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BDNF:神経成長因子の一種
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TrkB:BDNFの受容体
この2つが結合することで、神経の興奮や可塑性が高まり、慢性痛の増幅や維持 に関与すると考えられています。
研究内容と結果
① IBSモデルではBDNF/TrkBが増加
IBSラットでは、
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大腸
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脊髄後根神経節(DRG)
においてBDNF/TrkBの発現が増加しており、内臓過敏性(痛みの過剰反応)に関与していました。
② 鍼通電とお灸で発現が抑制
鍼通電および灸刺激を行うことで、大腸・DRGの両方においてBDNF/TrkBの発現が有意に低下し、それに伴い 内臓過敏性(痛み)も軽減 しました。
③ 鍼通電の方が効果は強い傾向
鍼通電・お灸ともに有効でしたが、鍼通電の方がBDNF/TrkB抑制効果は大きい傾向 が示されました。
まとめ
IBSでは、BDNF/TrkBシグナル系が神経の過敏性や「痛みの記憶」の維持 に関与しています。
鍼通電やお灸は、このシステムを調節することで、慢性的な痛みを和らげる可能性がある ことが示唆されています。


Q9. IBSは東洋医学ではどのように考えられているのでしょうか?
過敏性腸症候群(IBS)は、東洋医学(中医学)では「脾」を中心とした機能失調 として捉えられます。
国際的に評価の高い医学誌 Gut(2006年)に掲載された研究でも、IBSを東洋医学的視点から整理した報告がなされています。
IBSの基本的な見立て(東洋医学)
中医学では、IBSは主に
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脾気虚(消化・吸収機能の低下)
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肝気鬱結(ストレスによる気の滞り)
が複合的に関与する病態と考えられています。
「脾」の役割とは?
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食物の消化・吸収を担い
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「気・血・津液」を生み出す中枢的な臓腑
この脾の働きが弱くなると、軟便・下痢・食欲不振・倦怠感 などが起こりやすくなります。
IBSで多い病態パターン
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肝気鬱結型
ストレスにより肝の気が滞り、脾の働きを妨げる
→ 腹痛、下痢、情緒不安定 -
脾気虚型
消化吸収力の低下
→ 軟便、倦怠感、食欲不振 -
脾腎陽虚型
慢性的な虚弱・冷え
→ 冷え、慢性下痢、朝方の症状悪化
病態の流れ(東洋医学的メカニズム)
ストレスや抑うつ
→ 肝気鬱結
→ 肝が脾を妨げる(肝乗脾)
→ 脾の運化機能低下
→ 下痢・腹痛などの症状出現
研究で用いられた主な経穴
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太衝
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足三里
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三陰交
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中脘
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梁門
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天枢
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神門
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百会
これらは、消化機能の調整・ストレス緩和・全身バランスの調整 を目的として選択されています。

