top of page

PMPS

乳房切除後疼痛症候群

乳房切除後疼痛症候群とは

 乳房切除後疼痛症候群(Post-Mastectomy Pain Syndrome; PMPS)とは、「術後通常の治癒期間を超えて持続する慢性痛であり(Salatiら, 2023)、術後3ヶ月以上持続する痛みFabroら, 2012)」と定義されています。

 PMPSの痛みは胸壁(胸部前面)/胸部切除部位、腋窩(わきの下)、上腕(特に上腕内側・外側近傍領域)に生じることが典型とされ、こうした症状は乳房切除を受けた女性の20~68%の患者さんに発症するとも報告されています(Salatiら, 2023)。

乳房切除後疼痛症候群 PMPS

​​​ Changらは「術後持続痛(PMPS 相当)は単一の病態ではなく、主に①神経性起因、②筋骨格性/体性起因、さらに③中枢性・感作性が重なることが多い」と整理しています。

​​● 痛みの性質
 PMPSは、神経障害性(neuropathic)の性質を持つ痛みと見なされることが多い、という記述があります(たとえば灼熱感(焼かれるような痛み)、電撃痛、異常知覚などを含む)。
 こうした痛みが残ると、QOL(生活の質)や ADL(日常生活動作)に影響を与える可能性は、多くの論文で指摘されています。

● 鍼治療の安全性について
 PMPS患者あるいはリンパ浮腫を有する患者に対しての鍼治療は、「比較的安全で、有害事象は軽微なものが主体で、重大なリスクはこれまでの報告では稀である」というのが文献からの結論です。

 乳がんの手術後、上肢リンパ浮腫は頻度の高い合併症であり、発症率は文献により約20%の方に認められると報告されています。これまで「鍼治療=リンパ浮腫リスクを高めるかもしれない」という懸念があり、鍼治療の安全性(特にリンパ浮腫の誘発リスク)に関するエビデンスは不十分でした。

 Ye-Seul Lee ら(2024年)の研究dは、「乳がん手術後に鍼治療を受けてもリンパ浮腫のリスクは上がらない」ことを示唆する、大規模な研究が行われました。
 この研究では、35,000例超のデータ(韓国の国民健康保険のデータ)を術後3〜6か月の間に5回以上鍼治療を受けた患者と鍼治療を受けなかった患者に分けた結果、鍼治療を受けても、リンパ浮腫リスクが有意に高まるという証拠は得られませんでした。

​👉 Acupuncture Needles and the Risk of Lymphedema After Breast Cancer Surgery: A Retrospective National Cohort Study

​ ただし、これは「適切な技術を持つ施術者、清潔な針の使用(使い捨ての鍼)、皮膚・浮腫の状態を確認、免疫抑制などのリスクが高い状態を避けるなど」の条件付きです。
 臨床的には、①術後一定期間が経過していること、②刺鍼部位に明らかな感染徴候が認められないこと、これらの条件がそろっていれば、「鍼治療を行うことに大きなリスクはなく、過剰に心配する必要はない」とエビデンスをもって説明することができます。しなしながら、実際に患者に鍼治療を検討する際には、事前評価が必要です。
-------------------------------------------------
事前評価
- リンパ節郭清の有無・範囲
- 放射線治療歴(特に腕近傍・胸壁皮膚の皮膚状態)
- 浮腫のステージ・重症度・皮膚の状態(発赤・感染徴候・創部・瘢痕の状態)
- 血液凝固指標・抗凝固薬使用の有無
- 免疫状態(白血球数等)、化学療法の有無・時期

-------------------------------------------------
​​​
 また、鍼治療を実施する前には「鍼灸の適応・不適応」を判断する必要があります。
​ これは、「鍼灸治療を受けたいと思った方へ」の『2. 医療従事者向け資料』にその適応症や安全性に関する情報を記載しています。

● 鍼治療の有効性について
 PMPS患者に対する鍼治療の最初の症例報告は、2014年に発表されたJoshua Baumlらの研究です。

​👉 Treatment of post-mastectomy pain syndrome with acupuncture: a case report
​​​
研究の概要
 手術直後から胸部全体に帯状の激烈な痛みを訴えていた症例に対して、鍼治療が症状の改善に寄与したと報告されています。薬物療法や理学療法で十分な効果が得られなかった難治例に対し、鍼治療を行うことでQOLの向上、薬物中止、さらにはホルモン療法の再開に至った点は、臨床的に非常に注目すべき点だと感じました。

 また、本症例の鍼治療は、緩和ケアに精通した医師が実施しており、鍼灸の臨床経験は10年以上あると記載されています。そして、特に私が注目したのは“選穴”です。局所(痛む部位)と遠隔部の経穴を組み合わせた施術が行われていました。胸部は疼痛や感受性が高いため、斜刺によるごく浅い刺入で刺激はほとんど与えていませんでした。この点は、SDM(Shared Decision Making)に基づき、個別化された鍼治療が実践されていたことを示していると思います。

 私も埼玉医科大学在籍時にPMPSのケースレポートを報告しています。この症例報告の新規性や独自性は以下の点にあります。

  1. 術後10年以上経過したPMPS患者への鍼治療の適用
    長期経過後の症例に対する鍼治療の有効性は明確ではありませんでした。長期間経過したPMPS患者に対しても鍼治療が有効である可能性を示唆しています。

  2. 肩関節可動域制限を伴うPMPS患者への鍼治療の適用
    PMPS患者において肩関節可動域の制限を併発することは一般的であり、これに対する鍼治療の有効性を示す症例報告は限られていましたが、PMPSと可動域制限の両方に対して鍼治療が有効である可能性を示すことができました。

  3. 多面的な評価指標の使用
    本研究では、痛みの程度(NRS)以外に、肩関節可動域、心理的側面、そして生活の質(SF-36)など、複数の評価指標を用いて治療効果を検討しました。鍼治療は、痛みの軽減だけではなく、心理的側面や生活の質向上にも寄与する可能性を示すことができました。


​ そして、2026年に岡山県で開催予定の全日本鍼灸学会学術大会でもPMPSの症例を報告する予定です(現在、投稿準備中)。

 PMPSに対する鍼治療の有効性を検討した研究は、現時点ではごく限られています。BaumlらはPMPSを神経障害性疼痛の一種と捉え、鍼刺激が末梢・脊髄・中枢における鎮痛機序を介して効果を発揮する可能性を示しました。さらに、がん治療に伴う化学療法誘発末梢神経障害(CIPN)に対しては、無作為化比較試験で鍼の有効性が報告されています。これらの知見は、神経障害性疼痛における鍼の生物学的・臨床的有効性を支持する間接的な根拠となり得ると考えられます。

● 乳がん治療後の後遺症について

 乳がん治療後の後遺症(痛み、しびれ、倦怠感、ホットフラッシュ、神経障害など)は生存者の日常生活やQOL(生活の質)に大きな影響を与えます。標準治療だけでは対処できない症状も中にはあるため、鍼灸治療が注目され、その一つの手段として検討されています。

 アメリカの有名ながんセンター「Mayo Clinic」で行われた調査(2020年)によると、乳がんを経験した415人のうち、鍼灸を受けた人の多くが症状の改善を感じていました。

 

研究の概要

 本研究は、米国Mayo Clinicに登録された乳がん生存者を対象に、鍼灸治療の利用実態を横断調査したものです。

  • 対象:乳がん治療関連症状に対して鍼灸を経験した415名

  • 有効回答者:241名

 この241人中、193 人(82.1 %)が何らかの改善を感じたと報告しています。また、4人に1人(24.1%)は「大きく改善した」または「症状がほぼなくなった」と回答していました。

​​

症状別改善率

  • 改善を感じやすかった症状は「頭痛(79%)」、改善率が低かったのは「リンパ浮腫(56%)」

  • 効果が「すぐに感じられた(34%)」「数回で感じられた(40.4%)」と報告する者が多かった点も、比較的早期に効果を実感できたケースがあることを示唆しています。

米国における鍼灸院の受診形態

 鍼灸治療を提供する場としては、「Private offices」がもっとも多く(61.0%)、医療機関で行われる鍼灸は42.3%でした。また、患者は自ら探して受診したケースが過半数を占め、腫瘍内科医からの紹介は24.1%ほどでした。鍼灸を医療機関(がんセンター、病院等)の中に組み込む例は限られていることがわかりました。

​​👉 Real-world experiences with acupuncture among breast cancer survivors: a cross-sectional survey study

​​

さいごに

 PMPS以外にも乳がん治療に伴って出現してしまった症状に対して鍼灸は有効的な場合が多いです。お困りの際にはぜひご相談ください。​​​​​

© 2025 大慈松浦鍼灸院. All rights reserved.

bottom of page