その制度設計は誰のため?
- 大慈松浦鍼灸院

- 2025年12月18日
- 読了時間: 2分
制度の設計を考えてみたいと思います。
私はやり方を「知っている」からできる。一方で、あなたはやり方を「知らない」からできない。
これって歪んだ構造だと個人的には思います。
「なぜ症例報告を書かないのか」「なぜ紹介状・施術報告書を書かないのか」
そう問われて、「やってみたい気持ちはある。でも、やり方がわからない」と感じている人は、決して少なくありません。
これは、個人の努力不足や能力の問題ではありません。問題は、“知らないままにされてしまう構造”にあります。
やり方が共有されていない状態で結果だけを求めれば、議論はいつの間にか…
「やる気があるか・ないか」
「有能か・そうでないか」
という個人の評価にすり替わってしまいます。
しかし、それは本来の論点ではないはずです。
知っている人・できる人こそが、
「知らなくても進める仕組み」
「初めてでも書ける設計」
を初心にかえって設計すべきだと思います。
さらに言えば、最初から正解を出す必要はないと私は考えています。
やりながら学ぶ
失敗を重ねながら、少しずつ正解に近づいていく
そのくらいの温度感で、十分ではないでしょうか。
まずはやってみること。慣れてきたら、徐々に完成度を高めていけばいいはずにもかかわらず、
「最初から完成度の高いものが求められる」
「失敗すると評価が下がる」
そんな空気があると、人は動けなくなってしまいます。
だからこそ必要なのは、挑戦しながら学べる前提で設計された仕組みです。

やってみる → 気づく → 修正する
この循環が自然に回る環境があれば、経験や年数に関係なく、人はちゃんと成長していけると思います。





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