経絡治療の源流を学ぶ―成立の歴史から脈診・虚実・補瀉の実際まで
2026年10月11日(日)、大宮呉竹医療専門学校で開催された「令和8年度 埼玉鍼灸学会第1回 全日本鍼灸学会認定指定C講座」に参加しました。
今回のテーマは、「経絡治療の源流を体感する―伝統の技と経絡治療の真髄を学ぶ1日―」です。
経絡治療学会の馬場道敬先生、橋本厳先生を講師に迎え、経絡治療の成立と歴史的展開、虚実の判断、脈診、補瀉、具体的な施術方法などについて学びました。
経絡治療は、日本で独自に発展してきた鍼灸治療体系の一つです。古代中国の『黄帝内経』『難経』などの理論を基盤としながら、昭和初期の日本で古典研究と臨床技術の再検討を通じて体系化されました。
今回の研修会では、特に「経絡の虚実をどのように判断し、適切な補瀉へと結びつけるのか?」という点が重要なテーマとなっていました。
※ 本記事は、2026年10月11日の研修会で得た講演メモをもとに、筆者が関連文献を参照してまとめたものです。講演内容の要約と文献に基づく補足・考察を含み、講師の発言を逐語的に再現したものではありません。
※ 本記事は、学会理事会における審議および承認を経て執筆したものです。また、写真は許可を得て掲載しています。
経絡治療とは何か
経絡治療とは、身体に生じるさまざまな症状や疾病を経絡の虚実という観点から捉え、補瀉によってその状態を調整し、症状や疾病の改善を目指す伝統的な鍼灸治療体系です。
ここでいう「経絡」は、伝統医学において気血が巡り、臓腑と全身を結びつけると考えられてきた経路を指します。また、「虚」は不足や機能の低下、「実」は過剰や偏りを表す伝統医学的な概念です。
経絡治療では、主訴のある部位だけに着目するのではなく、四診によって経絡の虚実を判断し、適切な経穴(ツボ)を選択して補法・瀉法を行います。
その特徴は、診察・証決定・選穴・補瀉・再評価が一貫した治療体系を構成していることにあります。

橋本巌(いわなみ鍼灸院 院長)
第1講演 橋本厳先生
「経絡治療の成立とその展開―虚実の見方と効果的な補瀉法―」
1.経絡と脈診の源流―『黄帝内経』と『難経』
橋本先生の講演では、経絡治療の成立を理解するため、まず古代中国の医学思想から歴史を振り返りました。
『黄帝内経』は、中国伝統医学の理論的基盤を形成した代表的な医学古典です。『素問』と『霊枢』からなり、陰陽五行、五臓六腑の相互関係、気血の循環、経絡、鍼術などについて論じられています。
また、司馬遷の『史記』に収められた「扁鵲倉公列伝」には、古代の名医とされる扁鵲の診脈に関する記述がみられます。
橋本先生は、身体の「流れ」を捉え、その流れに働きかけるという観点から、経絡と脈診の関係を説明されました。
経絡と脈診の理論をさらに詳しく説明しているのが『難経』です。
『難経』第一難では、十二経脈にはそれぞれ脈動があるにもかかわらず、なぜ手首の寸口を診察することで五臓六腑の状態を判断できるのか、という問いが示されています。
その説明には、営衛や気血が全身を循環するという伝統医学的な生理観が用いられています。
全身の経絡の状態を、手首の脈から判断する。 この考え方は、後の脈診理論や日本の経絡治療につながる重要な基盤となりました。[1]
2.中国医学の日本への伝来
続いて、橋本先生は、中国と日本の時代区分を比較しながら、中国医学が日本へ伝来し、独自に発展した過程を説明されました。
平安時代の『医心方』
984年(永観2年)、鍼博士であった丹波康頼は『医心方』全30巻を編纂しました。
『医心方』は日本に現存する最古の医学書であり、隋・唐以前の中国医学書を幅広く引用して、疾病の原因や治療、鍼灸、養生などをまとめたものです。[2]
鎌倉時代の僧医学
鎌倉時代になると、仏教僧侶が医学知識を伝え、医療活動に携わる例もみられました。
戦乱や社会構造の変化のなかで、宮廷を中心とした医学とは異なる医療の担い手が発展していきました。
田代三喜と曲直瀬道三
室町時代から戦国時代にかけては、田代三喜が中国の金元医学を日本に伝え、その流れを曲直瀬道三が発展させました。曲直瀬道三は、診察によって患者の証を捉え、それに応じた治療を行う「察証弁治」を重視しました。[3]
江戸時代の医学と鍼灸文化
江戸時代には医学書の出版や教育が発展し、鍼灸も庶民の生活に広く浸透しました。
特に杉山和一による管鍼法の発展や、鍼灸教育の整備は、日本独自の鍼灸文化の形成に大きな影響を与えました。
こうした長い歴史の積み重ねが、近代以降の経絡治療の成立につながっていきます。
3.大正・昭和期の古典復興運動
大正期から昭和初期にかけては、沢田健が古典の経絡・経穴理論を臨床に応用し、独自の施術体系を展開しました。その治療法を記録し、広く伝えた人物が代田文誌です。
この時代には、古典の経絡理論を実際の臨床に結びつけようとする動きが活発になりました。
柳谷素霊と古典復興運動
昭和初期、日本の鍼灸界では柳谷素霊を中心に、古典医学を再評価する運動が展開されました。
『黄帝内経』『難経』などの古典を研究し、そこに記載された診察法や補瀉理論を、実際の鍼灸臨床で活用しようとする取り組みです。この運動には、岡部素道、井上恵理、竹山晋一郎らが関わりました。
岡部素道と補瀉論
橋本先生の講演では、岡部素道が1933年(昭和8年)に発表した「古典に於ける補瀉論に就て」が紹介されました。
岡部は『素問』『難経』などの古典に記載された補瀉法を検討し、経絡の虚実に対応した治療の理論を整理しました。その重要な典拠となったのが『難経』第六十九難です。
虚者補其母、実者瀉其子。
これは「虚するものはその母を補い、実するものはその子を瀉す」という意味です。
五行の相生関係に基づいて、虚している経絡には母の性質を持つ経穴を選び、実している経絡には子の性質を持つ経穴を選ぶ考え方です。[4]
4.経絡治療の成立―昭和11年か、昭和14年か
経絡治療の成立については、1939年(昭和14年)3月3日の新人弥生会結成が重要な出来事として知られています。
しかし、経絡治療の成立過程を歴史資料から検討した周防一平の研究では、1936年(昭和11年)の段階ですでに理論と臨床体系が形成されていたことが報告されています。[4]
この研究では、岡部素道の著作や関係者への聞き取りをもとに、当時の診察・施術方法が検討されました。
戦前の岡部は、六部定位による脈位脈状診を用い、病的な脈状を示す経絡に対して単刺による補瀉を行っていました。これは、後年の比較脈診による『難経』第六十九難本治法とは異なる特徴です。
また、当時の柳谷素霊、岡部素道、井上恵理の施術方法には違いがありました。共通する理論を持ちながら、実際の刺鍼技術については、それぞれの臨床家の判断に委ねるという方向性が示されたとされています。
したがって、1939年の新人弥生会結成は、経絡治療の理論が初めて生まれた時点というより、それまでに形成されていた治療体系が広く普及する契機と捉えることができます。
5.虚実と補瀉―経絡治療の基本方針
橋本先生は、経絡治療の施術方針として、次の4つの考え方を示されました。
6.診察―六部定位脈診と切経
経絡治療では、望診・聞診・問診・切診の四診を用いて証を決定します。
特に重視されるのが、切診に含まれる脈診と切経です。
『難経』第六十一難では、望・聞・問・切の四診について記されています。日本の経絡治療では、このうち切診、特に六部定位脈診を重要視する傾向があります。
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六部定位脈診では、左右の橈骨動脈を寸・関・尺の3部に分け、浮沈や脈の強弱などを診察して経絡の虚実を判断します。

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切経では、経絡や経穴上の皮膚・軟部組織に現れる反応を触察します。

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施術前の脈診によって証を決定し、補瀉の後にも脈を確認します。
➡ 施術前後で同じ診察方法を用い、変化を確認することが、経絡治療の特徴の一つです。

7.刺鍼・施灸―提按法と全身施術
刺鍼では、日本の鍼灸に特徴的な管鍼法による穿皮・弾入を基本とし、経絡の虚実に応じて補瀉を使い分けます。橋本先生は、具体的な補瀉技術として提按法を紹介されました。
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提按法は、提と按の操作を用いる補瀉手技であり、古典の補瀉論にも関連する技術です。岡部素道の1933年の論考にも「提按強揉の補瀉」という項目が設けられており、古典に基づく補瀉法を検討していたことが確認できます。[4]

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施灸については、熱を透すという透熱灸の考え方や、灸痕を残さない無痕灸の方法が紹介されました。
橋本先生の基本的な流れ
このなかでも臨床的に興味深かったのが、施術の最後に座位で肩上部へ散鍼を行うという方法です。
橋本先生は、仰臥位や伏臥位での施術によって副交感神経が優位になった状態で、肩上部に散鍼を加えることで、患者がすっきりとした感覚を得て帰宅できると説明されました。
施術中の反応だけでなく、施術を終えた患者の身体感覚にも配慮するという臨床上の工夫が印象的でした。

馬場道敬
第2講演 馬場道敬先生
「経絡治療の真髄」
続いて、馬場道敬先生による「経絡治療の真髄」と題した講演が行われました。
馬場先生は長年にわたって経絡治療を実践されてきた臨床家であり、今回の講演では、六部定位脈診、選穴、補瀉、気の捉え方、刺激量などについて具体的に説明されました。
1.経絡治療における診断とは「証を決定すること」
馬場先生は、経絡治療における診断とは、証を決定することであると説明されました。
診察には『難経』第六十一難に記載された望・聞・問・切の四診を用いますが、そのなかでも六部定位脈診を最も重視します。
左右の橈骨動脈の寸・関・尺を診察し、浮沈によって陰経と陽経を分け、合計十二経の虚実を判断します。
特に特徴的なのは、次の考え方です。
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最も弱く感じられる脈を虚と判断する。
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最も強く感じられる脈を実と判断する。
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脈の「形」ではなく「力」を重要視する。


馬場先生が実践される脈診は、一つひとつの脈を確かめながら進めるが印象的でした
このように、脈の相対的な強弱から虚実を判断し、証を決定します。
橋本先生が示された「脈診の一貫」「虚実の即応」という方針が、馬場先生の診察方法にも共通していることがわかります。
2.選穴―『難経』第六十九難の母子補瀉
馬場先生の選穴は、『難経』第六十九難の母子補瀉論を基本としています。
また、滑寿による『難経本義』の解釈や、『難経』第五十難の五邪論を踏まえ、経絡相互の関係を考慮します。
主に五要穴、特に五行穴を用いて選穴することが説明されました。
五行には、木・火・土・金・水の相生関係があります。
例えば腎は水に属し、その母は金です。このため、腎経の虚に対しては、腎経の金穴である復溜を補うという選穴が導かれます。
一方、肺は金に属し、その子は水です。肺経の実に対しては、肺経の水穴である尺沢を瀉すという考え方になります。


馬場先生の取穴では、陰谷を伏臥位で取穴される点も特徴的で、印象に残りました
3.実際の治療例―腎経虚・肺経実証
講演では、六部定位脈診による証決定と選穴の具体例が紹介されました。
腎経虚・肺経実証の例
左手尺中の陰の脈が最も弱く、右手寸口の陰の脈が最も強く感じられた場合、腎経虚・肺経実証と判断します。
この場合、次の経穴を選択します。
これらの経穴に施術した後、再び脈診を行い、脈の変化を確認します。


大腸経実・胆経実証の例
右手寸口の陽の脈が最も強く、左手関上の陽の脈が次に強く感じられた場合、大腸経実・胆経実証と判断します。
この場合には、『難経』第五十難の五邪論を踏まえ、大腸経の木穴である三間(LI3)を選択する例が示されました。
このように、単純な母子補瀉だけでなく、経絡間の関係を考慮した選穴も行われます。
4.気とは何か―「力」と「働き」として捉える
今回の講演で、特に興味深かったのが馬場先生による「気」の解釈です。
馬場先生は、気とは「力」であり、「働き」であると説明されました。
経絡治療では、経絡の虚実を気の偏りとして捉え、経穴に対する補瀉によってその状態を変化させようとします。
例えば、腎経が虚している場合、母穴である復溜に施術します。
このとき、復溜という経穴自体に気が集まるのではなく、他の経絡から腎経へ気が集まるという考え方です。
一方、胆経が実している場合には、瀉穴である陽輔に施術します。
これも陽輔という経穴から直接気が抜けるのではなく、経穴への刺激によって胆経に変化が起こり、実している気が他の経絡へ移行するという考え方です。
つまり、補瀉とは一つの経穴にだけ生じる変化ではなく、経絡相互の関係に働きかけるものとして説明されています。
5.同名経の関係を考慮した施術
馬場先生は、手足の同名経を考慮する場合があることも説明されました。
同名経とは、手と足で同じ三陰三陽の名称を持つ経絡のことです。
このような関係も考慮しながら、経絡相互の働きを捉え、選穴に応用することがあります。
6.治療の量―浅い刺鍼と刺激量の調整
馬場先生の講演資料には、具体的な治療の量についても記載されていました。
今回の研修会を通じて学んだこと
今回、橋本先生と馬場先生の講演を通じて、経絡治療の歴史から実際の診察・施術方法までを一連の流れとして学ぶことができました。
特に印象的だったのは、経絡治療において、診察と施術が明確な理論によって結びつけられていることです。
脈診によって経絡の虚実を判断し、五行の相生・相克関係を踏まえて選穴し、補瀉を行い、再び脈の変化を確認する。この過程が一貫していることは、経絡治療の重要な特徴だと感じました。
また、歴史的な観点からみると、経絡治療は古典の理論をそのまま再現したものではなく、昭和初期の鍼灸師たちが古典を研究し、実際の臨床技術と結びつけながら発展させてきた体系であることがわかります。
一方で、成立当初からすべての施術者が同じ方法を用いていたわけではなく、共通する理論を持ちながら、それぞれの臨床経験や技術が重視されてきた点も興味深いところです。
今回の研修会は、日本の鍼灸が培ってきた歴史と臨床技術を改めて理解するとともに、自身の診察や施術を見直す貴重な機会となりました。
今後も、伝統医学の経験から得られた貴重な知見を尊重しながら、現代医学的な知見や臨床研究と照らし合わせ、自身の臨床につなげていきたいと考えています。
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関連記事:鍼灸師が古典を学ぶ意義とは
参考文献・関連資料
[1] 『難経』第一難・第五十難・第六十一難・第六十九難.中国哲学書電子化計画
[2] 丹波康頼.『医心方』.984年.東京国立博物館・国宝『医心方』
[3] 『新鐫増補脈論口訣』.1683年刊.京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
[4] 周防一平.岡部素道の鍼灸治療―戦前期 経絡治療における理論の体系化と臨床の具体化―.日本東洋医学雑誌.2015;66(2):147–154.https://doi.org/10.3937/kampomed.66.147
[5] 岡部素道.経絡治療の立場.日本鍼灸治療学会誌.1970;19(2):14–15.https://doi.org/10.11525/jjsam1955.19.2_14
[6] 向野義人,若山育郎,馬場道敬,他.「あなたにとって鍼灸の真髄とは」.全日本鍼灸学会雑誌.2005;55(5):660–669.https://doi.org/10.3777/jjsam.55.660
[7] 馬場道敬.腰痛症に対する鍼灸治療.全日本鍼灸学会雑誌.1987;37(4):306–310.https://doi.org/10.3777/jjsam.37.306
講演で紹介された資料
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岡部素道.「発刊の辞」.『日本経絡学会誌』.1974年
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「達人は大観す」馬場道敬先生インタビュー.『経絡治療』第194号:13–22,第195号:2–12。インタビュアー:橋本厳先生、大木健二先生
このページを書いた人
PROFILE
監修
鍼灸師 松浦知史
全日本鍼灸学会認定鍼灸師
東京有明医療大学首席卒。福島県立医科大学会津医療センター研修。研修終了後は埼玉医科大学東洋医学科、ならびに同大学かわごえクリニックを経て、大慈松浦鍼灸院、神保町十河医院附属鍼灸院副院長。










