いま、なぜ古典を読むのか―
各団体の古典観と臨床観を通して考えたこと
日本内経医学会(公式ホームページへ)

■ 各団体報告(敬称略・団体名の五十音順)
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中村 至行 古典鍼灸研究会(付脈学会)
https://kotenken.org/ -
藤原 典往 積聚会
https://shakuju.com/ -
足立 繁久 鍼道五経会
http://harinomichi.com/ -
宮下 宗三 新医協
https://shinikyo-shinkyu.com/ -
大浦慈観 杉山真伝流勉強会
https://www.facebook.com/sugiyamashindenryu/ -
山本 和臣 東方会
https://tohokai.net/ -
米谷 和輝 日本内経医学会
https://plaza.umin.ac.jp/~daikei/ -
中野 正得 一般社団法人 日本はり医学会
https://nihonhari.net/ -
奥村 裕一 一般社団法人 北辰会
https://hokushinkai.info/
2026年3月22日、日本内経医学会主催のシンポジウム「古典に還る鍼灸医学 ― 歴史の知から教育・臨床を考える」に参加しました。本シンポジウムでは、各団体それぞれ独自の立場をもつ団体が登壇し、古典をどのように学び、どのように臨床へ接続しているかが報告されました。
本ページでは、聴講した内容を自分なりに整理し(誤りがあったら大変申し訳ございません)、これから古典を学びたい若手鍼灸師にとっての入口にもなるよう、各団体の情報とあわせて記録します。
※ 写真は許可を得て掲載しています。
第1席 中村 至行
所属:古典鍼灸研究会(付脈学会)会長
演題:古典に還る鍼灸医学 ― 古典鍼灸研究会における古典研究と臨床の展開

発表の要旨
古典鍼灸研究会の歴史と研究体系を背景に、古典理解を基盤とした臨床の深化が提示された。特に、古典の読解方法そのものが臨床判断に直結することが強調され、「古典に還る」という概念の実践的意義が示された。
シンポジウムの発表内容 1.研究会の成立(1940年発足) 古典鍼灸研究会は1940年に発足し、長期にわたり古典文献の精読と解釈を継続してきた。歴史的蓄積に基づく体系的研究が特徴である。 2.研究の特徴:二軸構造 本研究会の研究は以下の二軸で構成される。 (1) 病証研究:「鍼灸病証学」 古典における病証概念を整理し、臨床的な病態理解の枠組みとして再構成する。 (2) 経穴研究:「経穴考按(鍼灸甲乙経準拠)」 『鍼灸甲乙経』に基づき、経穴の主治や機能を再検討し、臨床的意味を明確化する。 3.古典研究の三領域 研究は以下の三層構造として整理されている。 (1) 古典基礎学 古典は「著者の肩ごしに読むべき」とされ、 ①白文読解 ②医古文としての語義理解 ③文献比較と歴史的推移の把握 ④時代背景の中での解釈 という方法論が提示された。後世の理論を前提とせず、原典そのものを理解する姿勢が強調される。 (2) 古典医学理論 基礎学から抽出された概念を体系化し、病証理解の基盤とする。 (3) 古典鍼灸臨床学 理論を臨床に適用し、病証と経穴の対応関係に基づく診断・治療を行う。 4.臨床理解への応用例 『素問 痺論第四十三』を例に、互文としての解釈と解釈の受容背景が提示された。 この中で、 •解釈の方法 •解釈が成立した歴史的背景 が異なることで、病態理解が変化し、結果として選穴や治療方針に差異が生じることが示された。 5.研究整理(井上雅文) これらの研究は体系的に整理され、臨床応用可能な知識として共有されている。 6.結語 古典鍼灸研究会の歩みを通じて、古典理解が臨床の深化に寄与することが示された。 「古典に還る」とは、単に過去の文献を引用することではなく、古典を読み直すことで現在の臨床を問い直す営みであると定義された。 ーーーーーーーーー 臨床への示唆 本発表は、臨床における診断・選穴・治療方針が、古典の読み方そのものに依存していることを明確に示している。 したがって、臨床能力の向上には、技術の習得だけでなく、古典読解という認知プロセスの精度向上が不可欠である。
第2席 藤原 典佳
所属:積聚会 副会長
演題:積聚治療はなぜ『易経』を読むのか

発表の要旨
積聚治療における『難経』と『易経』の役割分担を基盤に、古典を臨床思考の枠組みとして再解釈する立場が提示された。さらに、古典理解の必要性と限界を踏まえ、最終的には臨床実践の中でその意味が具現化されることが強調された。
シンポジウムの発表内容 1.古典の二層構造 (1) 治療手順:「難経」 (2) 思考様式:「易経」 2.伝統医学の構造 各伝統医学は「原典」と「思想」によって成立し、中国医学では儒教的思想が背景にある。 3.易の歴史的変遷 周代(天帝と王)→漢代(天と人、陰陽五行)→宋代(人間関係・思想)と変遷し、『易経』は思考体系として発展してきた。 4.易の臨床的活用 日常臨床の中に変化の原理を見出し、それを通じて鍼灸の理を深める姿勢が提示された。 5.窮理の構造 (1) 無極:観察・情報収集 (2) 太極:判断基準の設定 (3) 陰陽:評価・分類 この三段階により臨床判断が構造化される。 6.結語 古典の位置づけについて、以下の三点が強調された。 (1) 古典理解の必要性 古典を読まなければ東洋医学は理解できない。古典は鍼灸医学における共通言語である。 (2) 古典理解の限界 「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」とされるように、書物のみから作者の真意を完全に理解することはできない。 (3) 臨床における実現 したがって、古典の理解は文献内で完結するものではなく、 臨床実践の中で初めて表現されるものであると結論づけられた。 ーーーーーーーーー 臨床への示唆 本発表は、臨床における知のあり方として、文献理解と実践経験の往還が不可欠であることを示している。 すなわち、古典を読むことは出発点であり、その意味は臨床の中で検証・再構 築される必要がある。 この往復運動こそが、鍼灸医学における理解の深化を支える。
第3席 足立 繁久
所属:鍼道五経会 代表
演題:伝統医学がもつ多様な生理学から生命観を構築する

発表の要旨
鍼道五経会の臨床体系は、「診鍼一貫」と「五経一貫」を基盤としつつ、その源流を江戸期の医家に求める立場が提示された。特に、生理学を基盤とした医学理解と、古典を通じた身体観・生命観の獲得が臨床の前提となることが強調された。すなわち、日本独自の歴史的文脈の中で形成された伝統医学を再評価し、現代臨床へ接続する試みである。
シンポジウムの発表内容 1.理論・背景 鍼道五経会は、古典医学を断片的知識ではなく統合的体系として理解するため、「五経一貫」という思想を基盤とする。これは『素問』『霊枢』『難経』を中心に、方剤学・本草学を含めた医学全体を一体として捉える枠組みであり、江戸期医家の学統に連なるものである。 また、古典選定においては、日本では江戸期、中国では明清代を主対象とし、西洋医学流入以前の伝統医学を基盤として学ぶ姿勢が示された。 2.方法・アプローチ 古典読解においては、単なる翻訳理解ではなく、著者の系譜、時代背景、地理的条件、思想的文脈を含めた総合的理解が求められる。また、古典は先人の遺産として敬意をもって扱うべき対象とされた。 医学は以下の構造として整理される。 1.生理学(最も重視) 2.病理学 3.診断学 4.治療学 5.解剖学 このうち生理学が基盤となり、病理理解および治療判断の前提となることが強調された。 3.臨床への応用 臨床では「病」だけでなく「平(正常状態)」の理解が不可欠とされる。平と病の間にある未病の概念を含め、連続的な身体状態として把握する視点が提示された。 さらに、陰陽・気血水・五行・六病位など複数の生理学モデルが存在し、それぞれに対応する診法・治法があるとされた。日本鍼灸の特徴は、これらの多様なモデルを状況に応じて使い分ける点にある。 最終的に、古典を学ぶ目的は治療技術の習得にとどまらず、身体観・生命観・世界観を獲得し、臨床理解の枠組みを拡張することにあるとされた。 ーーーーーーーーー 臨床への示唆 臨床においては、病のみを対象とするのではなく、生理学的基盤に基づき「平」と「未病」を含めた連続的状態として患者を捉える必要がある。また、単一理論に依存せず、複数の医学モデルを適切に選択・運用する能力が求められる。
第4席 宮下 宗三
所属:新医協東京支部鍼灸部会 学術部長
演題:有益感の欠如による学習離脱をどう防ぐか ― 抄読会形式による古典学習の試み

発表の要旨
古典学習における「有益感の欠如」という課題に対し、抄録会形式を導入することで学習の継続性と臨床的有用性を高める試みが提示された。さらに、古典の継承を文化財的保存にとどめず、医学思想として継承するためには、臨床家自身の主体的努力が不可欠であることが強調された。
シンポジウムの発表内容 1.教育基盤 1966年発足の組織において、臨床・古典・育成・地域活動を統合した教育体系を構築。 2.古典読解の方法 書誌学的テキスト選択、校勘、注釈書活用による読解精度の担保。 3.問題設定 精読中心の学習により有益感が低下し、学習離脱が生じる。 4.抄録会形式への転換 要約・図解・臨床応用を組み込んだ能動的学習への移行。 5. 臨床講座への統合 古典講義と抄録会を臨床教育に組み込み、知識と実践を一体化。 6.結語 本発表の最終的な問題提起として、古典の継承のあり方が提示された。 (1) 文化財としての古典 古典文献そのものは、制度的・文化的枠組みの中で一定程度保存・継承される。 (2) 医学思想の継承の課題 しかし、そこに含まれる医学思想は、自動的には継承されない。 (3) 臨床家の主体性 医学思想の継承は、鍼灸師一人ひとりの学習と実践に依存する。 すなわち、古典を読み、理解し、臨床に適用する努力がなければ、思想は形式的に残るのみとなる。 ーーーーーーーーー 臨床への示唆 本発表は、臨床において古典を活用することは、単なる知識の応用ではなく、医学思想の継承行為であることを示している。 したがって、臨床家には、古典を理解し、実践し、次世代へ伝えるという主体的役割が求められる。
第5席 大浦 慈観
所属:杉山真伝流勉強会 主催
演題:「杉山真伝流勉強会」における古典とは

発表の要旨
杉山真伝流勉強会における古典理解のあり方を、歴史的文脈と臨床応用の両面から整理した発表である。特に、日本鍼灸における古典の受容と変遷を踏まえ、「古典を臨床にどう活かすか」という実践的視点が提示されている。
シンポジウムの発表内容 1.組織の概要 杉山真伝流勉強会は20周年を迎え、開催回数は230回以上に達している。継続的な古典研究と臨床応用を行う実践的な学習組織である。 2.研究対象 本会では、杉山真伝流(元禄6年頃を起点とする体系)を中心に、以下のような流派・文献との関係性の中で古典を検討している。 (1) 入江流 (2) 杉山流 (3) 夢分流 (4) 打鍼術各派 (5) その他江戸期鍼灸諸流派 1. 理論・背景 本発表では、『杉山真伝流』を中核に据えつつ、日本鍼灸における古典の形成過程を、関連する文献群・流派との関係の中で捉え直す視点が提示された。 とくに、鎌倉期から江戸期にかけての文献として、『耆婆五臓経』『五臓絵巻』『針聞書』『鍼灸大和文』などが取り上げられ、入江流・夢分流・打鍼術諸派などとの連関の中で、日本鍼灸が多様な知の集積として形成されてきたことが示された。 その中で『杉山真伝流』は、診断・病証鑑別・治法・取穴・刺鍼技術・治験例を含む体系的な鍼灸流儀書として位置づけられ、日本鍼灸の実践知を理解するうえで重要な文献とされた。 また、『鍼道秘訣集』にみられるように、古典は単なる理論書ではなく、仏教思想を背景とした術者の心の在り方と、打鍼術などの具体的技術が一体化したものとして成立していることが示された。 以上より、本発表では、古典は単一の原典ではなく、文献・流派・思想・技術が相互に関連するネットワークとして成立していると整理された。 2. 方法・アプローチ 本発表の方法論的特徴は、古典を個別文献としてではなく、相関図を用いて構造的に把握する点にある。 1.流派間・文献間の関係性を可視化 2.知識や技術の伝播経路を明示 3.古典を統合的体系として再構成 さらに、古典の臨床応用に関して以下の方法が提示された。 1.知識ではなく構造として理解する 2.個別文献ではなく関係性を参照する 3.技術の背後にある原理を抽出する 4.術者の状態を含めて再現する 5.現代臨床に応じて再構成する このように、古典の活用は単なる再現ではなく、再構成のプロセスとして位置づけられた。 3. 臨床への応用 古典は過去の知識の集積ではなく、臨床判断を生成するための枠組みとして機能する。 すなわち、臨床において重要なのは、個々の技術や記述をそのまま適用することではなく、複数の理論・技術・思想の関係性を踏まえた上で、状況に応じて再構成する能力である。 また、現代鍼灸が整形外科的疼痛治療に偏重している状況に対し、古典はより広範な臨床領域(内科的・全身的視点)への展開可能性を示すものとして提示された。 ーーーーーーーーー 臨床への示唆 本発表が示す臨床的示唆は、古典を活用するとは、知識を適用することではなく、思考を運用することであるという点に集約される。 すなわち、臨床判断は単一理論に基づくものではなく、複数の知見の関係性を踏まえた上で構築されるべきものである。 したがって、臨床能力とは、古典の記述量ではなく、古典的思考をどの程度柔軟に再構成できるかに依存すると考えられる。
第6席 山本 和臣
所属:東方会 副会長
演題:東方会における古典と臨床

発表の要旨
東方会は古典医学に基づく臨床家育成を目的として設立され、古典理論を経絡治療として再解釈し、診断および技術体系へ統合した「東方会方式」を構築している。本発表は、古典を臨床へ実装する過程を、研究・教育・技術体系の観点から具体的に提示したものである。
シンポジウムの発表内容 1.理論・背景 東方会は1970年に小野文恵により設立され、古典医学に基づく鍼灸臨床家の育成を目的とする。古典は固定的理論ではなく、臨床経験と問題意識に基づいて再解釈されるべき対象とされ、その具体的実践として経絡治療が位置づけられる。 2.方法・アプローチ 古典研究は、担当制によるテーマ設定、原文精読、文献比較を基盤とする。また、古典医書の復刻事業により知識基盤の保存を行い、古典講座および経絡医学研修センターを通じて教育体系が整備されている。これにより、古典は「保存・理解・教育」の循環の中で継承される。 3.臨床への応用 東方会方式の核心は、古典理論を診断および技術に対応づけた臨床体系にある。診断は陰陽・虚実・寒熱・気血に基づき、これに応じて26種類の鍼法が随証的に選択される。鍼法は接触鍼法、刺入鍼法、特殊鍼法、円錐鍼法、留気鍼法から構成されるが、その本質は分類ではなく、証に応じた臨床意思決定体系にある。 接触鍼法は小野文恵の長年の臨床経験を基盤として体系化されたものであり、気を中心とした操作体系として位置づけられる。結核患者、小児鍼、散鍼などの臨床実践を背景として発展した技術であり、『霊枢』客邪篇および『素問』皮部論に理論的根拠を持つ。したがって、接触鍼は浅層(皮部)の病態に対する適応技術として理解される。 ーーーーーーーーー 臨床への示唆 古典を臨床に活かすためには、理論を診断に、診断を技術に変換し、証に応じて適切に運用する能力が求められる。すなわち、臨床能力とは、古典理論を実践的意思決定へと転換する能力に依存する。
第7席 米谷 和輝
所属:日本内経医学会 運営委員
演題:日本内経医学会と古典

発表の要旨
日本内経医学会は、『素問』『霊枢』を中心とした医古典の原文読解を主目的とし、臨床応用に先立って理論基盤としての古典理解を徹底する教育・研究体系を構築している。本発表は、古典は臨床に必要かという問いに対し、理論なき臨床は成立しないという立場から明確な回答を提示したものである。
シンポジウムの発表内容 1. 理論・背景 日本内経医学会は、1984年の原宿における古典講座(原塾)を起点とし、1988年に設立された。会則第3条において、『素問』『霊枢』を中心とした古典の学術的探究とその継承・発展、人材育成が目的として明示されている。 本学会の特徴は、臨床応用を直接の目的とせず、古典理解そのものを学問的対象として位置づける点にある。 また、吉益東洞以降に見られる「素問不要論」や、現代における実用主義的傾向(ツボ・技術中心)に対して、理論軽視の問題が指摘された。傷寒論・金匱要略は治療体系を提示するが、医学全体の理論体系は示さず、その基盤は『素問』に依拠する必要があるとされる。 2. 方法・アプローチ 古典教育は段階的に構成されている。 1.第一クラス(基礎) 江戸期文献の輪読および訓読講座により、医古文の基礎能力を養成する。 2.第二クラス(中級) 『素問』『霊枢』の講義を通じて、内容理解と解釈能力を深化させる。 3.分科会活動 出土文献、難経輪読、文字学(『説文解字』)などにより、専門的読解能力をさらに高める。 また、古典読解の前提として、 1.翻訳には解釈が介在する 2.原文のニュアンス(韻律・構造)が失われる 3.原典批判(錯簡・誤写など)が必要 といった点が指摘され、原文読解の必要性が強調された。 研究活動としては、『季刊内経』への投稿、夏合宿、研究発表会に加え、「粗読の会」によって読解 → 要約 → 発表 → 研究という段階的プロセスが構築されている。 3. 臨床への応用(教育・研究) 本発表において、古典は直接的な臨床技術のマニュアルではないが、臨床判断の理論基盤を形成するものとして位置づけられる。 すなわち、 1.古典理解が病態把握の枠組みを提供する 2.理論が臨床判断の方向性を規定する という関係にあり、結果として臨床の質は古典理解に依存する。 また、中国における古典教育の再強化や文献系人材育成の動向が紹介され、古典研究の重要性が現代において再評価されていることが示された。 ーーーーーーーーー 臨床への示唆 本発表が示す最も重要な示唆は、臨床とは理論の応用であるという前提である。 すなわち、単に経穴や技術を習得するのみでは不十分であり、古典に基づく理論理解があってはじめて、臨床判断は精緻化される。 したがって、臨床能力の向上には、技術訓練と並行して、古典読解を通じた理論的基盤の構築が不可欠であると考えられる。
第8席 中野 正得
所属:一般社団法人 日本はり医学会
演題:臨床というフィルターを通した「学よりも術」の実践

発表の要旨
本発表は、日本はり医学会における古典の位置づけとその臨床的解釈を提示し、「学よりも術」を重視する立場から古典を実践へ転換する方法を示したものである。特に、古典を固定的に読むのではなく、臨床というフィルターを通して再解釈し続ける姿勢が強調された。
シンポジウムの発表内容 1.理論・背景 日本はり医学会は、素難医学を源流とする経絡治療の系譜に位置づき、「学である前に術であれ」という姿勢を基本とする。理論的議論よりも、目の前の患者を治す刺鍼技術を最重視する職人的立場を明確にしている。 また、古典の基盤として『霊枢九鍼十二原』と『難経六十九難』を二本の柱とし、刺鍼技術(補瀉)と治療法則の根拠として位置づけている。 2.方法・アプローチ 古典の解釈は「臨床というフィルター」を通して行われる。すなわち、古典テキスト(当時の文脈) → 現代の患者という基準で再解釈 → 実践的治療法へ変換 というプロセスをとる。 古典は保存対象ではなく、現代の患者を救うための道具として再構築されるべきものとされる。 3.臨床への応用 具体例として以下が提示された。 (1) 小児の夜泣き・夜驚症 『金匱要略』の婦人病条文を小児に応用し、「異病同治」として解釈する。母子関係における脾虚として再定義し、経絡治療による補法を行うことで改善を得ている。 (2) 切迫流産・早産の予防 『金匱要略』の「革脈」から病態を再解釈し、胎児を保持する陽気の不足と捉える。肺・心の本治法を行うことで流産リスクを回避する臨床戦略が示された。 これらは、古典条文をそのまま適用するのではなく、現代的病態へ再構成することで臨床に活かす例である。 ーーーーーーーーー 臨床への示唆 本発表は、古典を臨床に活かすためには、原文理解にとどまらず、現代の病態に応じて再解釈し実践へ変換する能力が重要であることを示している。すなわち、臨床においては古典を固定的に理解するのではなく、患者を基準として柔軟に運用する姿勢が求められる。
第9席 奥村 裕一
所属:一般社団法人 北辰会 理事・学術部長
演題:歴史の知から教育・臨床を考える

発表の要旨
本発表は、古典を臨床判断を導く思考原理として再定義し、「臨床古典学」という立場から古典と臨床の関係を再構築したものである。特に、古典は文献側からではなく臨床側から読み直されるべきであり、臨床との往復関係の中でその意義が成立することが示された。
シンポジウムの発表内容 1.理論・背景 発表者の古典との関わりは、中山忠直『漢方医学の新研究』との邂逅に始まり、鍼灸独自の病態把握への関心へと展開した。鍼灸大学時代には黄志良より現代中医学および各家学説を学び、歴史的視点から医学を捉える基盤が形成された。 さらに『黄帝内経太素』の重要性に着目し、文献理解のための学習環境を構築し、臨床においては藤本蓮風に師事することで、古典と臨床の接続が具体化された。 2.方法・アプローチ 本発表の中核は「臨床古典学」の立場にある。古典を読む目的は、病を治すための知の獲得にあり、古典とは「経験豊かな先人」との対話であるとされる。そのため、読解には相応の臨床能力が前提となる。 また、臨床に活きる文献研究の方向性として、次の問題提起がなされた。 1.『素問』『霊枢』などの古代医書は現代臨床から乖離している 2.文献学的知識のみでは「何をどのように読むか」という問いには答えられない 3.文献の側からではなく、臨床の側から古典に入る必要がある すなわち、古典解釈は文献中心ではなく、臨床中心の視点から再構成されるべきである。 さらに、古典解釈には地域差や歴史的相違を超えて「臨床事実」に基づく普遍性が存在するという立場が提示された。 3.臨床への応用 古典は教条的に適用されるものではなく、臨床で起きている現象を整理・確認するための共通言語として機能する。したがって、臨床経験が古典理解を深化させ、古典が臨床判断を洗練させるという双方向的関係が成立する。 この関係性の中で、古典は固定的知識ではなく、臨床により更新され続ける動的な知として位置づけられる。 ーーーーーーーーー 臨床への示唆 臨床においては、古典を文献として理解するのではなく、臨床課題から遡って読み直す姿勢が重要である。すなわち、古典は解釈の対象ではなく、臨床判断を形成する思考枠組みとして運用されるべきである。
シンポジウム全体を通じて見えてきたこと
今回のシンポジウムを通じて感じたことは、古典は決して容易に理解できるものではない一方で、臨床に対して重要な示唆を与えてくれる存在であるという点です。
古典に記されている内容は、単なる理論の記述ではなく、先人たちが臨床の中で試行錯誤し、苦悩しながら到達した思考の痕跡であると考えます。そのため、一見すると現代臨床に直接適用できない記述も多く見られますが、その背後には必ず何らかの意図や洞察が含まれていると感じました。
また、古典理解の方法にもいくつかの層があることが明確でした。原文読解や文献比較、歴史的背景の把握といった文献学的作業を基盤とする団体がある一方で、そこからさらに病証理解、診断体系、刺鍼技術へと接続し、最終的に臨床判断へ落とし込むことを重視する団体もありました。実際には、古典の内容をそのまま臨床に当てはめることは容易ではなく、すべてが直接的に有用であるとは限りません。しかし、理解に悩む過程そのものが、臨床に対する新たな視点を生み出す契機になると考えます。すなわち、古典は明確な答えを与えるものではなく、臨床を問い直すためのヒントを内包した存在であるといえます。
一方で、批判的に見るならば、「古典をどう臨床へ接続するか」は依然として各団体ごとの内部論理に依存する面も大きく、団体間で共通の検証枠組みが十分に整っているとは言い難い印象も受けました。近年は、伝統医学の歴史研究や文献学に加え、教育学、臨床疫学、技能伝承研究の視点からも再検討が進んでおり、今後は古典理解の深さと臨床再現性・教育可能性をどう両立させるかが一つの重要課題になると感じます。これは若手にとっても、どの団体で何を学ぶかを考える際の視点になるはずです。
悩みながら読み解く中で得られる気づきこそが古典の本質的価値であり、それが臨床の幅を広げる契機になるのではないかと考えました。
■ 基調講演
宮川 浩也(日本内経医学会 前会長、広島大学医学部 客員准教授)
演題:「学んで時にこれを習う、また悦ばしからずや。 ―古典を学んで、身に付ける。なんと楽しいことではないだろうか-」
宮川浩也先生は、古典を単なる知識や技術の根拠としてではなく、鍼灸師の在り方そのものを形成する学として位置づけていました。
『論語』における「君子儒」と「小人儒」の対比をもとに、鍼灸師は技術に優れた職人、知識を持つ小人、そして知識と徳性を備えた君子という段階で整理され、最終的に目指すべきは「君子鍼灸師」であると示されました。
ここでいう徳性とは、忠・恕・仁といった儒教的倫理に加え、「忘己利他」や「三つの清浄」といった仏教的概念を含むものであり、これらは単なる倫理ではなく、臨床を成立させる原動力として位置づけられていました。すなわち、問診・診察・刺鍼・施灸といった一連の臨床行為は、思いやりや慈しみといった内的態度によって貫かれるべきものであり、その一貫性が臨床の質を規定するとされていました。
したがって、古典を学ぶ意義は、臨床技術の向上にとどまらず、臨床に向き合う姿勢そのものを形成することにあります。古典は知識を得るためのものではなく、「人を治そうとする心」を養うためのものであり、その原動力として忠・忘己・清浄といった概念が提示されていました。さらに、先人が鍼灸の基盤を築いたのに対し、後進は日本鍼灸を世界に広める役割を担うべきであり、そのためには徳性を備えた臨床家の存在が不可欠であると示されていました。
さいごに
感を得て、漢文調をもって所感を記す。
宮川先生の基調講演の題は「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや。」なり。
誠に然り。学びてこれを習うことの楽しみ、また格別なり。
古典は、明答を示すにあらず、臨床を顧みてこれを問い直す示唆を蔵するものなり。
この会に参じ、古典の機微に触れ、臨床を省みる契機を得たり。謹謝之。
このページを書いた人
PROFILE
監修
鍼灸師 松浦知史
東京有明医療大学主席卒。福島県立医科大学会津医療センター研修。研修終了後は埼玉医科大学東洋医学科、ならびに同大学かわごえクリニックを経て、大慈松浦鍼灸院、神保町十河医院附属鍼灸院副院長。

